2015年8月27日木曜日

久々だ。

伴侶や子供が6月から今までボーイスカウトの夏季キャンピング、3週間の日本旅行と大忙しで、それに気持ちが巻き込まれ、見ているだけで疲れ果てた。ようやく平常に戻れそうだ。


Sunset地区なので、窓の外を眺めても毎朝濃霧でほとんど何も見えなかった。今朝は珍しく霧はなく雲が棚引いている、と言った感じだった。

 6時8分

 6時48分

6時52分

2015年7月30日木曜日

粘土

粘土には2012年春益子の体験クラスに1週間ほど通ったとき初めてさわった。土から何か作りたい、と言う太古から人間が持っているであろう思いを長年抱いていた。

それから3年が経った。石の上にも三年、とよく言ったものだ。ようやく何となく粘土になじんできたような。今までは粘土というものがさっぱり分からなかった。粘土の性質も扱い方も何がなんだかわからない。こねて丸めたりのばしたりしていればなんとなく何かを作れる。だが粘土というものに振り回されているというか自分の手先が自由に粘土を扱えない。粘土は一筋縄では行かない。3年やそこら粘土をいじったからと言ってそう自由にはさせてくれない。

昨日突如自分の心の中にあるイメージに従って手を動かし乱暴にどんどん何も考えず作っていった。筒型花瓶を作ろうと思い描いていた粗雑な乱暴な勢いのある花瓶が作りたかった。形や出来具合にばかりこだわらない、ぶち破ったような花瓶をだ。平らにのばした粘土の丈に足らない部分に平気でがんがん粘土の切れ端をくっつけて行った。面白い。楽しい。

今までカップを作るにも皿を作るにも、なるたけきれいに仕上がるように心がけて面白くも何ともなかった。つまり丸なら丸、筒型なら筒型にちゃんと作れないものだから、形ばかり熱中していた。だが昨日急にその域を脱出したか、突如バーンと飛び越せたように思えた。勝手に手が動いていた。

2015年7月27日月曜日

落ち葉

まだ秋にはなっていないが秋が近づいているのは大分前から感じられていた。教会へ歩いてゆく途中歩道にたくさん落ち葉が落ちていた。きれいだなと思った。拾って丁寧にティッシュぺーパーに包んでコートのポケットに仕舞った。

色が変わらないうちにスキャンしておいた。


2015年7月2日木曜日

動物園

動物園に昨日行ってきた。もうどのくらい行って居ないだろう。檻に入っている姿を外からまじまじ見るのが厭になったからだ。動物だって自由に歩き回りたい、飛び回りたい、泳ぎ回りたいに決まっている。まるで囚人を外からおもしろがってみている。趣味が悪いと思う。

でも大分前にサンフランシスコ動物園がなるたけ自然な状態で見せられるように展示方法を変えたようなことを聞いたように思っていて見に行こうとは思っていた。でも行ってやっぱりがっかりした。面白くない。かてて加えてこの頃は昔のように無造作に何も考えず動物を集めていた状況が変わって、見せているものの種類が少ない。良い傾向ではあるでしょう。今ではテレビで映像としては大分見られる機会も増えているのだから。

動物園は行っておまり気分は良くない。

当日写真を撮った。皆檻の中。犀など肝心な角がとられてしまっている。危なくないようにとってしまったのか、人間の勝手さに厭とも言われない犀が気の毒になった。








2015年6月23日火曜日

心の怒り

神様は私のこの世的な心の怒りの心を知らない間に取り去って下さった。


2015年6月19日金曜日

帰る。

自然界に住むもの全て何処からか来た。そしてその何処かへ皆平等にこの世での命を終え帰る。必ずそこに帰る。つまりあるところから来てまたそこへ帰る。あるところとは
ふるさとのようなものだな。

幸せな人生なら、だんだんにあちらこちら弱ってきて、あぁふるさとへ帰る日がちかずいていると素直に受け入れつつ日を過ごして行ける。だが中途で突然帰されることもある。それはどのような状況であっても受け入れがたい帰り方だと思う。


2015年6月11日木曜日

毎日が

眉間にしわ寄せ生きるのも  ほんわり笑って生きるのも

風も空気も神様だ  風と空気に同化できたらいいな